ペインクリニックとは?


0.ペインクリニックとは

私たちは、誰でも痛みを経験します。また、痛みの感じ方はさまざまで本人にしかわかりません。

人間はストレスなどの痛みが発生すると、それから身を守ろうとして交感神経が緊張します。交感神経の長時間の緊張は、組織の血流低下をおこし、組織への酸素供給が不足し、発痛物質などの代謝産物が蓄積されます。発痛物質などの代謝産物の蓄積は新たな痛みを促し、組織の血流低下、酸素不足を増強し、痛みの悪循環が形成され、組織の損傷に到ります。そうなると、痛みは改善されず、長期にわたって痛みに苦しむことになります。さらに、痛みがある一定レベルを超えると、体は動かなくなり、心も沈んでしまい、生きる意欲を失ってしまいます。

ペインクリニック科は、今までの医療に欠けていた患者さん中心の医療を、心臓、肺、肝臓などの臓器別に診療するのではなく、痛みを中心に治療していく診療科です。主として、神経ブロックを用いて痛みの診断と治療を行います。また、補助療法として、薬物療法、レーザーなどの電気刺激療法、理学療法、心理療法なども行います。

現代はストレス時代といわれています。不況やリストラ、競争社会のため、常に交感神経の緊張を強いられる時代です。ペインクリニックは、痛みの治療だけでなく、交感神経の緊張を和らげ、リラクゼーションを実現し、心を含めた全人的な治療を可能とする医療です。何よりも痛みによって低下した生活を改善し、患者さんの痛みを心身ともに軽くし、再び社会の中でいきいき、のびのび生活できるよう総合的に治療します。

ペインクリニックは、英語(Pain Clinic)をカタカナで書き換えたために、多くの人にはなじみが少なく、どのような診療を行っているのか、よく知られていませんが、直訳すると「痛みの診療所」という意味となります。ペインクリニックは、急性期の痛み、慢性期の痛み、がんの痛み、心の痛みなどあらゆる痛みの治療を対象としているのです。


1.痛みということ

痛みは非常に不愉快で、恐ろしいものです。誰でも痛みから逃れたいと思うのは当然です。
ところがこの痛みは、体の内外で起こる異常を伝える重要な警告反応でもあるのです。痛みがなかったら医師を訪れることはないでしょうし、治療もそれだけ遅れるわけです。
急激な腹痛が原因で、虫垂炎や胃穿孔などは発見されて治療が行われます。もし痛みがないと発見が遅れ、治療が手遅れになるときもあります。

このように痛みは、生体にとって大いに役立っているのですが、痛みの刺激が非常に強いとか、頑固に長く続くと、今度はいろいろな害が目立ってきます。
例えば、帯状疱疹後の神経痛です。皮疹は治ったにもかかわらず、頑固に続く痛みです。ぴりぴりする痛みに突然突き刺すような痛みが毎日、半年以上も続きます。このような痛みは慢性痛で、生体にとって何の利益ももたらしません。
このような痛みは、早期に痛みの原因を取り除くことが重要です。取り除けないときでも、痛みを軽減させることが治療になります。痛みを取ることは、古くから、医師に課せられた重要な使命でした。


2.注射器の発明

 人間にとって痛みは体の危険信号としてありましたので、それを和らげるとか、鎮める方法は真剣に取り組まれてきたと考えられます。大昔は、痛みそのものが悪病の体内侵入で、神の報復であると考えられました。これを除くために、お祈り、宗教的な儀式も行われました。そして鎮痛薬が見い出されるまでは、主に、物理的な方法で痛みの治療が行われています。それは痛いところを温める、冷やす、さすってマッサージをしたりと、現在でも行われているものです。すでに古代人は「まんだらげ」や「けし」を鎮痛剤として用いたといわれています。それを加工して分離純化したものが阿片アルカロイドで、その代表的なひとつが今日用いられているモルヒネです。
 現在たくさんの鎮痛剤が開発されていますが、このモルヒネに勝るものがまだないというのは興味深いことです。これらの鎮痛剤はロから飲んで服用するか、皮膚に塗るというものでしたが.やがて体内に注射するという画期的な方法が考えられました。今日みられるような内腔のある注射器に注射針が発明してようやく普及するようになりました。今からわずか約120年前です。
 この注射器と注射針の考案により、皮下、血管への鎮痛剤などの投与が可能となり、少量で副作用も少なく、そしてすぐ効果が出て痛みが消失するとういう効果をもたらしたのです。欠点として注射を行うということです。痛みもなく、吐き気などの副作用もない治療法が最も良い方法ですが、残念ながら注射に代わる最も良い治療法は現在のところありません。


3.使用される薬液

神経ブロック療法に使用される薬液は、大別して局所麻酔薬と神経破壊薬の2つがあります。

局所麻酔薬は手術の局所麻酔に使用されるのと同じで,使用後ある時間が経てばすっかリ元に戻る、非常に安全な薬です。神経ブロックの種類、疾患、年齢、部位などによって、局所麻酔の濃度、量を選択して用います。局所麻酔薬はベインクリニックで最も多く用いられる薬液です。

次に長期間の効果を期待して用いられる薬液に、神経破壊薬があります。この訳語は適当ではなく、一般の人には大変に怖い響きがあると思います。しかし、この神経破壊薬の使用は比較的限られており、使用量も極めて少なく、慎重に使用されるので怖いことはありません。
神経破壊薬としては現在アルコールとフェノールがよく用いられています。例えばアルコールは、三叉神経痛治康法によく用いられ、わずかO.1mlの微量で,ブロンクの種類によっては20年も有効です。フェノールはグリセリンに溶いて用いられ,癌疼痛などの場合、半年から1年間,痛みを感じなくする効果を発揮します。


4.神経ブロックとは

神経ブロックは、注射器と針を用いて痛みの部位もしくはその痛みの原因となっている神経、あるいはその周辺に局所麻酔薬(時にはがん性疼痛などではアルコール、フェノール、高周波熱凝固などで長期の神経破壊を行う)で痛みをとる治療です。

作用時間は1-2時間と短時間の作用で、手術の局所麻酔に使用されているものと同じものです。ある時間が経てば元に戻る非常に安全な薬です。 突然の腰下肢痛で、寝返りもできず、動くこともできない椎間板ヘルニアの患者さんが、1回のブロックで劇的に痛みが改善し、局所麻酔の効果が切れた後でも痛みのない状態が続き、元気に動き、歩いて帰る姿をよく見ることができます。このように短時間作用の局所麻酔薬でも痛みの悪循環が改善されると長期にわたり痛みのない状態に戻ります。

針を刺すという医療行為は、侵襲的治療ですので、医師であれば誰でもどこでもというわけにはいきません。診療の片手間に神経ブロックということはできません。起こりうる合併症を十分熟知し、それに対する処置を行える器具と設備と技量を持ち、訓練された専門医でなければいけないのです。

神経ブロックは、知覚神経、運動神経、交感神経を遮断することにより、痛みのために動かすことができなかった筋肉や組織の血流が改善され、蓄積されていた不要な老廃物、発痛物質が洗い流され、痛みの悪循環に終止符が打たれ、痛みから解放され、いきいきとした生活を実現することができます。
神経ブロックでの治療は、頭部から下肢まで体すべての領域が対象となります。頭痛、頭の後ろが痛い、顔の痛み、顔のまひ、けいれん、首、肩が痛む、五十肩、肩が上がらない、肘ー手が痛い、肋骨が痛い、背中ー腰が痛い、歩くと足ー膝が痛い、階段の上り下りが辛いなどの症状に神経ブロックは有効です。また帯状疱疹後神経痛、がんの痛み、自律神経失調症などはペインクリニックが最も得意とする治療領域です。

ペインクリニックは、痛みの改善のみでなく、痛みのために動かすことができなかった体を動かすことにより、社会の中でのびのびいきいきと生活できることを目指す医療です。すなわち、痛みを緩和する「神経ブロック」と機能回復を目指す運動療法を組み合わせて行う医療です。


5.癌性疼痛にもっと神経ブロックを

 ペインクリニック科は、がんの痛みの治療をもっとも得意としています。

21世紀には、3人に1人はがんで死ぬ時代といわれています。がんの痛みの治療は社会的にも重要な問題です。WHO(世界保健機関)は、がんによる痛みには治療法があり、耐えがたい痛みに苦しむ必要はなく、モルヒネで痛みは解決され、長期間使用しても精神的依存性は問題ないと報告しています。 しかし、末期がん患者の20%ではモルヒネを使っても取れない痛みがあります。がんの骨への転移や、すい臓のすぐ後ろにある後腹膜(腹部内臓器からの知覚を中継する交感神経の塊である腹腔神経叢)へのがんの移転などです。そのような痛みに対しては、神経ブロックが有効です。

私のがん疼痛に対する神経ブロックをライフワークとして行うきっかけとなったのは、2人の患者さんの治療からです。
ひとり目は、66歳の女性、すい臓がんの患者さんでした。内科にて末期のすい臓がんと診断され、モルヒネやブプレノルフィンなどの痛み止めの治療を行っても、吐き気や嘔吐のみで痛みは改善されず、食欲も減退し、ベッドから移動することさえも困難となっていました。当科紹介後、がんの痛みに対し、神経破壊薬(アルコール)による腹腔神経叢ブロックを行いました。ブロック後、お腹の痛みは消失し、食欲も改善し、自由に動き回ることができて退院となりました。その後、痛みがみられたときは当科で治療を行うようになりました。
ふたり目は、大腿、下肢の骨折が肺がんの骨転移と診断された59歳の女性でした。内科入院中は痛みで寝返りもうてず、モルヒネでも痛みは改善せず、寝たきりの状態で1ヶ月以上にわたって苦しんでいました。当科紹介後、直ちに持続硬膜外ブロックを行い、寝返りや座位が可能となりました。そのとき、患者さんは、「なぜこんな良い治療があるのに、今まで誰も教えてくれなかったのか」と不満を述べていました。これは、痛みの専門家であるペインクリニシャンが、まだ医者内部でも認知されていないこと、ましてや、患者さんの間では知る由もないということでした。
その経験から、神経ブロックによる治療で「痛みをコントロールして在宅へ」の医療方針を開業した現在でも行い、在宅往診を継続しています。

神経ブロックは、1回の治療で長期にわたって痛みがない状態を実現することができます。また、モルヒネのように吐き気や、眠気、便秘などに苦しむことはありません。


6.日本のペインクリニックの特徴

日本のペインクリニックでは、痛みの強い時期には、痛みが改善するまで頻回に治療を行います。

日本で行うこの治療方法は、世界の中で最高の水準にあり、独特の発展を遂げてきました。
この功績は、一つに日本の医療制度に負うところも大きいのではないかと考えています。欧米では、一件あたりの医療費が高いために、医療機関で何回も受診して治療を行うということは、医療システムとしてなじまないのです。その点、日本では、医師の技術料が低く設定され、医療費が安いために、短期間に頻回に神経ブロックを行うことが可能となったのです。
これは患者さんの痛みの治療にとっては福音となり、日本が世界で最も優れた神経ブロック治療を行うことを可能としてきたのです。顔、首、肩、腰、足が痛くて動くことも働くこともできない急性期には、早期に無痛状態を実現することが重要です。それには繰り返しの神経ブロックが有効です。局所麻酔薬は副作用がなく、また必ず元に戻ることから、何回でも治療を行うことができるのです。

欧米の医療は、1日5~6人の患者さんの診療で成り立っています。患者さんひとりに対する診察時間も長く、1時間近く行われます。日本は逆に、1日50人近い患者さんを診ることで医療制度が成り立っています(俗に言う、3時間待ちの3分診察)。欧米のように5~6人では、経営は成り立たないのです。しかし、そのような3分診療と長い待ち時間と言われながらも、日本は先進国の中で、最も少ない社会保障費で世界一の長寿を達成している国なのです。これは、国民皆保険制度により、安く、公平な医療を提供することができた結果なのです。

欧米に比較して、医療機関に気軽に通院できるということで、医療費の増加という問題が起きます。しかし、急性期に頻回の神経ブロックによる痛みを消失させる治療は、痛みで苦しんでいる患者さんや社会にとって、ものすごい利益となります。また、繰り返しの神経ブロックは、日本独特のペインクリニックの発展を作り出し、診療単価が安いことで、診療技術の向上をももたらし、現在のブロック法が確立されたのです。安全な局所麻酔薬を毎週使用することにより、患者さんの日常生活の活動性を高め、生活の質を向上させることができたのです。
欧米では1回あたりの診療単価が高く、日本のような繰り返しの神経ブロックは高額な医療費になるため、治療として定着せず、診断のために用いられるようになったのです。


7.慢性痛こそペインクリニック科での治療を

 痛みには急性痛と慢性痛があります。急性痛には虫垂炎、胃穿孔などの急激におこる腹痛、くも膜下出血などの突然の激しい頭痛などがあります。適切な治療を行うと痛みは消失します。

 慢性痛には、交通事故の外傷後の持続する痛み(むち打ち症など)、手術後のしびれてひりひりする痛み、頸肩腕痛症候群(キーパンチャー症候群)、帯状疱疹後神経痛の持続するぴりぴりする痛みなどがあります。
 慢性痛では、このような症状が半年以上も持続します。慢性痛の患者さんは、常に痛みで悩まされ、睡眠も妨げられ、気分も落ち込み、うつ状態になり、心も体も動かなくなります。周りからも傷は治っているのになぜ痛いのだと言われ、「気のせいだ」と言われ、ますます落ち込むようになります。

 そのような慢性痛の患者さんが、いろいろな病院を転々としながら、口コミや紹介でペインクリニック科を訪問し受診することになります。

 ペインクリニックでは、このような痛みを「気のせいだ」と片付けることはしません。痛みの原因がはっきりしていれば、神経ブロック(痛みの悪循環を遮断する)で治療します。原因がはっきりしていないときでも、痛みの治療を行うことが主となります。
 一般に慢性痛の患者さんは、長期間痛みで苦しんできたために、心も体も動かなくなり、治療に対しても抵抗性をもっています。そのようなときには、神経ブロックに薬物療法、運動療法を併用して治療を行います。
 神経ブロックには、交感神経ブロック、運動神経、知覚神経を一時的にブロックする方法などがあります。神経ブロックによる完全無痛の実現は、「痛みは取れるのだ」という自信と希望につながり、生きる意欲も出てくるようになります。神経ブロックのみで不十分なときは、薬物療法も行います。抗うつ剤や安定剤、睡眠薬などを用いて十分な睡眠と体を休ませることも必要です。
 長期間の閉じこもり生活によって、体も関節も固くなり、筋力も低下している場合には、筋力アップの運動療法が重要となります。体力が回復してくると、人間は自信を持つようになり、根気も持続し、仕事にも意欲が出てきます。

ペインクリニック科では、痛みを1日も早く取り除き、充実した日常生活を実現する医療を行っています。


8.神経ブロックの種類

 神経ブロック法は約50種類ありますが、現在行われているのは約20種類で、大別すると体性末梢神経(知覚・運動)ブロックと交感神経ブロック及び、それらを混合したブロックです。  この中で、非常に注目されているのが交感神経節ブロックです。幸い人体は頚・胸・内臓・腰の4箇所でそれぞれの交感神経をブロックできます。  この交感神経ブロックを施行すると、知覚や運動神経には影響を与えずに、それぞれの支配領域の血行をよくし、痛みを遮断し、炎症を抑え、自然治癒力を促進します。頚部の星状神経節ブロックは、ペインクリニックで最も多く用いられますが、これも交感神経のブロックです。次に多いのは、硬膜外ブロックで、入院治療の多くはこの方法により行われます。


9.適応となる疾患

腰下肢痛は、ペインクリニック外来患者で一番多い疾患です。腰下肢痛の原因には、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症、圧迫骨折などがあります。手術の適応と判断されても、その前に神経ブロック療法を試みるべきです。

四肢血行障害、ことにバージャー病、閉塞性動脈硬化症、レイノー病、急性動脈閉塞症などは、交感神経ブロックの対象となります。また、外傷後、手術後などに引き起こされるカウザルギーもよい対象です。すでに年余を経た例は難治ですが、発症直後の交感神経ブロックが効果的です。

三叉神経痛は、神経ブロックの最もよい適応の疾患です。診断が正しく、ブロックが確実に行われたときは、必ず鎮痛が得られます。

がん性疼痛も、疼痛部位の診断と適切な神経ブロックを行うと、1回の治療で長期にわたる鎮痛が得られます。痛みがなくなれば、家族と一緒に自宅での生活が可能となります。当院では在宅療養に向けた住宅往診を積極的に取り組んでいます。

帯状庖疹に対しては、帯状庖疹後神経痛に移行させないためにも神経ブロックが最もよい治療法となります。

痛みはありませんが、顔面痙攣の治療には最近は痙攣する筋肉に微量の筋弛緩薬(ボツリヌストキシン)を注射する治療も行っています。

顔面神経麻痺にはたくさんの治療法が行われております。私たちは治療の経験から、星状神経節ブロック療法が最も効果的だと考えています。また、ある日、突然、目が見えなくなる網膜中心動脈閉塞症、聴こえなくなる突発性難聴、声が出なくなる反回神経麻痺などは、すべて星状神経節ブロックのよい適応です。

当ホームページ作成にあたり、塩谷正弘先生のご好意により、先生のホームページを引用させていただきました。
深く感謝します。